置き薬の歴史
富山十万石の二代目藩主前田正甫公は、質実剛健を尊び自らも薬を調合する名君でした。元禄三年(一六九○年)、江戸城内で福島県岩代三春の藩主が突然腹痛を訴えました。そこに居合わせた正甫公が常備の薬を与えたところ、たちまち痛みがおさまり、この光景を目のあたりにした諸国の藩主はその薬効に驚き、「ぜひ自分たちの国でも売り広めてほしい」と願い出ました。富山のくすりが一躍有名になった事件です。正甫公は、松井屋源右衛門に調剤を命じ、八重崎屋源六に行商をさせたといわれています。
売薬版画
富山のくすり屋さんといえば、紙風船と売薬版画(絵紙)です。歌舞伎の名場面や役者絵、名所絵、武者絵などのほかに暦や食べ合わせ表まであって、娯楽の少なかった時代に、これらのおみやげ品はとても喜ばれました。またくすり屋さんの豊富な情報や話題も大切なおみやげで、こうした人とのつながりが厚い信頼関係を育み、ときにはお嫁さんの紹介などもして、地域の人々とのコミュニケーションを深めました。